著者:ジェニファー・M.ハリス (JENNIFER M. HSRRIS)
肩書:経済学者、バイデン政権下、大統領経済担当特別補佐官
(論稿主旨)
米国は今、複数の筋書きの間に揺れる。嘗てレーガン大統領が旗振りした新自由主義の潮流は、これ迄、凡そ40年に亘り米国経済政策を推進し自国文化に浸透した。
米国人の間には「市場のことは市場が一番よく知っている」と党派を越えた合意が広く信ぜられて来た。つまり、「市場は効率性に優れる丈でなく、賢く、そして公正なのだ」と。
この思考は更に、「自由市場の織り成す流れを悪戯(いたずら)に掻き混ぜるが如き、本来の自然秩序に対する介入行為は、政府が取るべきではない」と行き着いて、政府はそれに従った。
その結果、1982年から2025年に掛け、全上場企業の株式時価総額は、GDPの35%から凡そ95%を占めるに至った。“新自由主義”と多くの者達が呼ぶ、この体制下に、民間部門は目覚ましい好景気に沸いたのだった。
然し、概ね10年程前から、新自由主義は米国の社会生活――そしてワシントンの政治家達の間に於いても、その支持を失い始める。
つまり、多くの米国人にとり“国際化”は最早、罵りの言葉へと変じ、その意味する処は「様々な不平等の諸弊害、産業雇用の喪失、何とも危うい金融部門の異常肥大、更に地政学上の競合諸国の台頭迄、これら全ての元凶として非難されるべき現象」と位置付けられたのだ。
これを受け、米国指導者達は、それ以前の数十年間、国が拠り処として来た諸前提を、今度は著しく否定し始める。
先ず、第一期目のトランプ大統領は、「新自由主義は必然である」との考えに対し一斉放火を浴びせた。即ち、彼は社会保障費削減には殆ど興味を示さぬ代わり、敵国と同盟国と等しく重関税を課し、労働組合へ同情の念を(真意は兎も角)主張し、更に米国の企業と労働者を海外競争から保護する旨を宣言した。
次に、彼を引き継いだジョー・バイデンも、これ迄、彼自身の政治キャリアを形作って来た、自由市場重視の一般信条から離脱を図った。彼は、トランプが中国に課した関税の大半を維持する。そして、国内に於いては、新しい種類の米国産業政策を打ち立てようと試みた。それは、「国家は様々な市場の形成に拘わることが可能のみならず、寧ろ、それに関与すべき」との前提に立つものだった。
斯くして、彼は、独禁法による消費者保護を強化し、レーガン政権以前の水準へ回復させた。更に、彼は「米国史上、最も労働組合を応援する大統領」を自称、そして、言葉通り、2023年ミシガン州の労働組合ストを視察した際、労働者達のピケに参加した米国初の大統領になった。彼は自身のSNSアカウントに投稿し曰く、「丘の上に住む極少数の金持ちのお零(こぼ)れで全体経済を回すが如き経済システムは止め、全ての国民の為にそんな仕組みを廃絶することこそ、私が大統領に就任した目的だ」と。
念の為に云えば、萬人が手本とすべき共通の筋書きは未だ存在しない。身近な例を惹けば、バイデン政権下の副大統領にして、且つ正式に次期後継者指名を受けた、カマラ・ハリスは、バイデンの経済諸理念の多くを是認し乍らも、大統領選キャンペーン中、自身はバイデンの提唱した多くの経済構想と距離を置いたことは記憶に新しい。
彼女が提案した、長期保有株式から最も富裕な米国人層が得る利益に対する課税強化案は、ババイデンが求めよりも遥かに緩やかなものだったし、更に、バイデンが訴えた独禁法強制適用の強化対策に関し、彼女は後退し始めたように見えた。
第二期目のトランプは、恰(あたか)も熱病に浮かれた如く、関税の武器化を一段と推進し、閣僚任命された一部の者達は、労働組合支援、産業政策重視、及び独禁法政策の厳格運用化(レーガン政権以前の水準並み)の諸策に対し、共感を深める意を示した。
然し、それ以外の分野に於いて、トランプの財政政策は、寧ろ典型的な“新自由主義”を彷彿させるものだ。例えば、トランプの大統領就任直後の数ケ月間に、共和党が過半を握る議会は、彼が第一期目に導入した、減税諸策の延長を熱心に模索しようとしたのだ。これが成立する場合、新たに2~4兆ドル米国財政赤字が拡大するだろう(この赤字額の幅は、片や歳出削減諸策と、他方、典型的“新自由主義的野望”に沿って追加導入され得る諸政策との兼ね合いに依存する)。
然し、息も継げぬ程、斯くも目まぐるしく転変する近年の政治情勢の中にも、今や非常に幅広い政治領域に渡り、複数指導者や思想家達が進んで受け入れ始めた“ある新しい種類の民主的資本主義”の姿に就いて、人々はその概要を識別することが出来る筈だ。即ち、それは「ポスト-新自由主義」と聊(いささ)か陳腐な名を以って大勢の者達から呼ばれているものだ。但し、それは、各種市場に堅固に結び付いた“支配力の不均衡”に対処し、これら市場が為しうることと、なし得ないことに関し一定の透明性を取り戻し、そして、とりわけ重要なのが、「現状の経済諸構造が果たして根本的に米国人や米国社会にとって有益なものなのか」を再考することを目的として設計された、一連の多彩な思想と政策を提供する主義である。
ポスト-新自由主義の提唱者達は「“市場”は富を集中させ非対称的権力を生む傾向を持つ」と論じる。これら諸不均衡は個々人に問題を引き起こし、総じて、経済全体の問題へと発展する以上、これらを正すのが政府の役割である、という訳だ。
政府が座視すれば、これら様々な不均衡が競争を阻害し、やがて我が国の資本主義は、ほんの一握りの権力集団による経済支配が罷り通る、所謂コーポラティズム(corporatism)の世界へ次第に陥るだろう。就いては、今こそ、「州政府が経済を切り盛りし、これら不均衡によって健全な経済機能が毒されることなきよう取り計らう」ことが各州に求められる、との主張だ。
ポスト-新自由主義者達は、更に曰く、市場とはそれ自体が最終目的ではなく「価値ある諸目標を、社会が国家規模で追求する為に役立てる、謂わば道具なのだ」と。
このポスト-新自由主義の筋書きに就いては、共和、民主の両党にその支持者が居る。この事実によって、今日の情勢は、過去の振り子の揺れとは異なる動きを見せている。即ち、それ以前、新自由主義やケインズ主義の場合には、当時それぞれに直面した現実的な諸問題に対処する為に、何れか片方の党がその推進を熱狂的に支持した。即ち、民主党、フランクリン・ルーズベルトはケインズ主義への扉を開き、有効需要を梃入れするには国家介入が必要な点を強調して大不況を克服し、第二次世界大戦へ国家総動員を実施した。次にホワイトハウスの主となった共和党ドワイト・アイゼンハワーは、ケインズ派諸政策を劇的に後退させることはなかった。数十年後、共和党レーガン大統領は“新自由主義”を掲げ、1970年代のスタグフレーションを鎮静化させた。民主党から次に大統領に選出されたビル・クリントンは、1992年大統領選挙戦に於いて、レーガン式“自由市場”重視を引き続き公約に掲げたことが勝因の一つとなった。上述した二つの先例は、一連の諸理念が最早動かしがたい潮流となった結果、両党は本来相互対抗するにも拘わらず、当時の理念を政治運営上不可欠なものと見做し、最終的にはそれに従った、と云う事例である。
然し、現在具現化している筋書は、上記の歴史パターンにはそぐわないようだ。と云うのは、右派と左派の両陣営で再編が並行し進行したことによって、ニューヨーク・タイムズのジャーナリスト、デヴィッド・レオンハートが“新中道主義(a new centrism)”と名付けた、嘗て新自由主義によっては解決できなかった諸問題を認識する思想の台頭が、促されているからだ。
この“新中道主義”は、コネチカット州民主党上院議員クリス・マーフィー(同州の経済は金融部門に偏重)や、シリコン・バレーの民主党下院議員 ロー・カンナを、より支持政党が流動的な諸選挙区の他の政治家達と団結させた。具体的にはニューヨーク州北部(第13区)のパット・ライアン、ペンシルバニア州のクリス・デルジオ等で、彼らは、常に問題を提起し、デルジオ自身の言葉を引用すれば“数十年に亘り道を踏み誤って来た、ゾンビの群衆の如き新自由主義経済学者達から、我々は逃れるべきだ”と云い続けている。
又、共和党上院議員ジョーシュ・ハーレーやバーニー・モレルノ等も労働者支援を主張し、自由貿易と富の集中へ警戒を表明する。即ち、ハーレー曰く、「過去30年間の経済システムは、何も神聖なものでは決してない。それは不可避な道ではなく、一つの選択に過ぎなかった。そして、我々は今や、良い方向へ道筋を選ぶ力を手にしたのだ」と。
“ポスト-新自由主義”に沿った多くの諸施策が、一貫し大衆支持を受けている実態は、世論調査により既に裏付けられている。具体的に云えば、産業政策、労働組合、及び独占禁止法や消費者保護強化に関する諸政策だ。又、一方、経済学が扱う領域自体も変化している。近年、ノーベル経済学受賞者の多くが研究する分野は、昨年の受賞も含め、政治権力や市場占有力が如何にマクロ経済成長結果に影響するかという問題だった。
経済理念の真価は、ポスト-新自由主義(ポスト-ネオ・リベラリズム)もその例に洩れず、その時々の主要諸課題を如何に適切に対処可能であるかの観点で測られるべきである。そして、少なくとも云えるのは、現在、尚も台頭中であるこのポスト-新自由主義は、前時代の理念である新自由主義(ネオ・リベラリズム)に比せば、今、我々が広範な分野で直面する様々な問題をより上手に対処出来るのだ。(諸課題を列挙すれば、中国が我が国に伍する強大な対抗者となった事実、公正にして迅速な米国経済成長実現すること、民主主義自体に対する信任減退、及び脱炭素化に向け政策上実行可能な手段を緊急に見出す必要性、等)。
これら諸問題は新自由主義によって産み落とされたものである以上、又候(またぞろ)「新自由主義へ回帰」することは、固(もと)より選択肢たり得ないのだ。
然し、実は、斯かる移行期間にこそ危険は潜む。1930年代、欧州に於いて、ケインズ主義が果たして、より暗黒的にして且つ独裁的な諸理念を打ち負かすことが出来るか、その見通しは当時、全く予断を許さなかった事実を想起すべきだ。同様に、今日「新自由主義(ネオ・リベラリズム)」の後に、代わって定着すべき“ポスト-新自由主義(ポスト-ネオ・リベラリズム)”、と一口に云っても、其処には多くの変種が存在し、それらの中には好ましからざるものも含まれる。詰まる処、新自由主義の後に来るべき、新しい理念を如何に形作り、そして乱気流の道中を如何に進路取りして行くかと云う点こそが重要で、それらは全て諸社会に於ける我々の行動に懸かっているのだ。
( 第1章 了 )
文責:日向陸生
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